【飯舘村生まれの”じゃがいも”くん】
今月14日(2017年8月)、一匹の雑種犬が福島県飯舘村の「村わんダフルまでい大使」に任命されました。
6才の”じゃがいも”くん(おとこのこ)です。
任命式が行われたのは今月グランドオープンした「いいたて村の道の駅までい館」。
”までい”というのは、この地域の方言で、「手間暇を惜しまず」「心を込めて」「丁寧に」「慎ましく」といった意味だそうです。
2011年3月11日に起きた あの震災の後、福島第一原発事故によって全村避難指示が出された飯舘村(いいたてむら)の人々は、6月には避難を完了しなくてはなりませんでした。
まさにその避難の直前、村民の井上正一さん(67才)宅で、6匹の赤ちゃん犬が誕生したのです。
犬を連れては行けない・・・
仕方なく井上さんは、6匹のうち1匹を知人に引き取ってもらい、残った5匹を【NPO法人 日本動物介護センター】(岐阜市)に預けました。
センターに預けられた5匹の子犬たちのうち、4匹は引き取り先が無事に見つかりました。
ところが”じゃがいも”だけは、引き取りてが見つからず残ってしまったのです。
【日本動物介護センター】の山口常夫理事長(66)は
「”じゃがいも”を災害救助犬に育てよう!」
と決意しました。
雑種犬が災害救助犬を目指すのは異例のことですが、山口理事長は”じゃがいも”の若さと身体能力の高さに可能性を見出したのだといいます。
【勝利の方程式】
訓練士の上村智恵子さん(44才)と一緒に災害救助犬の認定試験に向けて訓練を開始した”じゃがいも”
災害救助犬の認定試験が行われるのは年に2回。合格率は20~30%の狭き門です。
”じゃがいも”は2012年からチャレンジし続けましたが、結果はいつも不合格に・・・
誰かが言っていました。
「勝利の方程式は、勝つまでやめないことだ!」
って・・・
上村訓練士と”じゃがいも”は、やめませんでした。
5年間、実に10回もの災害救助犬認定試験に落ちても、決して諦めずに訓練を重ね、試験を受けつづけた結果、”じゃがいも”は11回目の受験で見事合格することができたのです!
飯舘村が、一部の地域を除いて避難指示解除となったのが、今年の3月。
そして、”じゃがいも”が災害救助犬認定試験に合格したのが、今年の6月のことでした。
任命式では、飯舘村の菅野典雄村長が
「村の明るい話題を届けてほしい」
と、”じゃがいも”を震災後から預かっている【NPO法人 日本動物介護センター】の山口理事長に任命状を手渡しました。
山口理事長は
「避難指示解除に合わせて試験に合格したような気がする。応援してほしい」
と話しました。
”じゃがいも”は、共に訓練をつづけてきた上村訓練士と一緒に、任命式の会場で、倒壊家屋に見立てた木箱から、匂いを手掛かりに人を探し出して「ワンワンワン!」と3回鳴いてみせ、訓練の成果を誇らしげに披露しました。
今後、”じゃがいも”は、全国におよそ220頭いる災害救助犬と共に、全国の自治体の防災訓練に参加するなどして有事に備えるということです。
訓練士の上村さんは
「ふるさとのために頑張ってほしい。私もじゃがいもを通して福島の情報を知りたい」
と目を細めていたそうです。
【元飼い主さんの想い】
任命式には、元飼い主の井上さんも参列していました。
井上さんは、見事、災害救助犬となり、大役を任された”じゃがいも”を祝福しました。
2011年6月、避難指示に従わなければならなくなった時は、生まれたばかりの子犬たちの処分も考えたという井上さん・・・
ご家族の提案でセンターに預けることに決めました。
差し入れのジャガイモを嬉しそうに食べていた1匹の子犬が、”じゃがいも”と名付けられ、こんなにも立派に成長したのです。
「”じゃがいも”が災害救助犬を目指すと聞いた時は驚きましたが、遠くからエールを送り続けていました。年に2回の里帰りで”じゃがいも”に会うたびに成長しているのを感じて嬉しく思っていました」
そう井上さんは語っています。
井上さんは福島市内に購入した中古住宅で避難生活を続けています。
「村の復興はこれから。”じゃがいも”には人の役に立ってほしい」
と、大きく成長した愛犬の活躍を願っています。
【日本動物介護センターの取組み】
”じゃがいも”を引き取り、立派な災害救助犬に育て上げた【NPO法人 日本動物介護センター】 は、福島から600Kmも離れた岐阜県にあります。
センターは震災直後から、飼い主と暮らせなくなった、およそ50頭の犬を無償で預かり、世話をしてきました。
これまでに16匹が、元の飼い主さんのところに帰ることができましたが、その一方で、高齢により亡くなった犬もたくさんいて、現在は福島から引き取った犬は10匹になっているそうです。
その活動だけでも素晴らしいのですが、こちらのセンターは年に2回、ワゴン車に犬たちを乗せて、ふるさと福島に出向き、飼い主さんと愛犬の再会の場を設けているのです。
代表の山口常夫さんは
「犬の思いからしたら、ふるさとに帰りたいだろうし、飼い主と会いたいだろうというのが当然。最後の一頭まで返してあげたい気持ちが大きい」
と語っています。
『当然』と一口に言っても、片道600Kmもの距離の往復です。
犬を連れていればトイレや給水、気分転換のお散歩などの休憩をはさみながらの移動でしょうから、時間も労力も、そして金銭面でも大変なご苦労だとお察しします。
なかなかできることではありません。
愛犬と離ればなれの生活を余儀なくされている飼い主さんたちは、年に2回のこの日を、なにより楽しみにしておられるそうです。
2016年末に南相馬市に完成した災害公営住宅にひとりで暮らしている鈴木竹子さん(88才)は、離れて暮らすコーギーのマリ(12才)に特別な思いがあります。
元々は浪江町で息子夫婦や孫、そして愛犬マリと一緒に、8人&1匹で賑やかに暮らしていました。
地元の消防団で活動していた息子の謙太郎さんは、地震の直後、周囲の人々が避難する中、自宅に戻って縁側に繋がれていたマリを助け出したといいます。
その後、謙太郎さんは水門を閉めるために海へと向かっていったところを津波にさらわれてしまったのです。
竹子さんは
「マリ・・・これがあの子の最期の形見。最期の形見」
そう、テレビの取材で話しておられました。
竹子さん自身、震災後、避難先を転々としてきました。
今年1月に、この災害公営住宅に入居することで、ようやく落ち着いた暮らしを取り戻すことができました。
けれども、災害公営住宅では犬を飼うことが禁じられています。
震災から6年経った今でも、マリと暮らすことはできないのです。
「一緒に住みたい、でもそれはできない。
マリといたい、でもいられない。
マリと清々と暮らしてみたい。」
88才の飼い主さんと12才のコーギー・・・どちらも高齢です。
1日も早く、一緒に安心して暮らせる日が訪れますように・・・
飼い主さんと犬たちとの再会は、ほんの1時間程度です。
次に会えるのはまた半年後・・・
それでも、いつかは愛犬と一緒に暮らしたいという思いは、生きる希望に繋がるのだと思います。
引き取り手が見つからなかった”じゃがいも”を立派な災害救助犬に育てあげ、
飼い主さんから預かっている犬たちには、定期的な再会の機会を与えてあげる・・・
【NPO法人 日本動物介護センター】のすばらしい取組みには、本当に頭が下がります。
コチラ↓のページから寄付をすることができます。
協力できるという方は、ぜひよろしくお願いいたします。
http://www.nihondoubutukaigo.com/contents1.html
<今日のPet Hotel 11!>
初めてPet Hotel 11!に遊びにきてくれた 抱っこ大好き 海斗くん。 また遊びにきてね~! |
ハナちゃん、長いお泊り、よく頑張ったね! またきてね~(^▽^)/ |
そらくん「かあちゃん、みてみてぇ~!ボクこんなに 他の子と遊べるようになったんだよ!」 |
お散歩だってグングン歩くよ!すごいでしょ?! エッヘン!! |
ボクは東日本大震災の6日後に生まれたんだ。 あれから6年・・・ 今や立派な”ボール犬”に成長したんだぞ! |
ワタシも東日本大震災の2か月後に生まれたのよ。 あれから6年・・・ 今や立派な”女帝”に成長したのよ!! |