戦地に軍犬として出征させられる犬たち。
食い扶持(くいぶち)を減らすため、食用にするため、兵士の毛皮にするためといった理由で容赦なく殺される犬たち。
人間が人間の都合で始めた戦争に、いつの時代も翻弄されてきた犬たちについて書いてきました。
【従順で純粋な犬たち】
前回のブログでご紹介したドラマ『さよなら、アルマ 赤紙をもらった犬』の中で、アルマが所属している部隊が野営中に
「こいつがいるおかげで、俺たちはこんな毎日でもちゃんと人間でいられる」
とひとりの兵隊が言うシーンがあります。
親や兄弟、妻や子供がいて、ありふれた日常を過ごしていた、ごく普通の人々。
戦争が始まる前は、優しさや理性を持っていた男性たち。
彼らは、”殺さなければ殺される”という戦争の極限状態の中で、人格が崩壊し、罪の意識すら薄れて狂気の世界に入っていく・・・
けれどもアルマという一頭の犬に、彼ら自身の人間らしさを呼び覚ましてもらっていることに気づくというシーンです。
人間には意思があります。そもそも人間が始めた戦争です。
でも犬は何のために自分が戦地につれて来られ、何のためにこんなことをしなくてはならないのかも解らないのです。
にも関わらず、その身を投げ出して忠実に人間の命令した通りに動き、不平も泣き言も言わず、まっすぐな瞳と優しい表情で人間を見つめる犬の純粋さに、兵士たちは癒され、自分を取り戻していったのでしょう。
人に愛され、人を癒して、人に尽くして、人に利用され、人に殺され・・・
それでも犬たちはまっすぐな瞳でわたしたちを見つめ、ついてきてくれます。
ついてきてしまうのです・・・!
このドラマの中に、こんなシーンもあります。
訓練士としてアルマと共に戦場で戦う青年。
子供たちの歌声が大すきだった優しくて穏やかなはずのアルマが、青年に命じられて敵兵を躊躇なく襲い、敵兵の血で口元を汚したまま戻ってきて、嬉しそうにオスワリして青年の顔をあどけない瞳で見る様子に彼はショックを受けます。
アルマはただ、褒めてほしいだけなのです。
オスワリやマテができると褒めてもらえるのと同じように、敵を襲うことを教えられ、命令されれば、褒めてもらえると思ってやるのです。
犬はあまりにも純粋で従順です。
ですから、犬がどういう行いをするかは、すべて100%わたしたち人間(飼い主)の責任なのです。
だからこそ、絶対に犬を戦争の道具にするなどもってのほかだと強く言いたいのです。
【一番怖いのは普通の人々】
『さよなら、アルマ』の中に、戦地で活躍する軍犬としてふさわしい犬かどうかを判断するための試験の模様が描かれています。
意外なことに、この審査を実施するのは国ではなく、【社団法人帝国軍用犬協会】という民間団体だったそうです。
太平洋戦争の末期に犬の供出を強く推し進めたのは、隣組などの地域住民でした。
常日頃お世話になっているご近所さんが家に押しかけてきて、
『人間が食べる食料も乏しいというのに犬を食わせるなどぜいたくだ!』
『兵隊さんが戦地で命をかけて戦っているのだから、アンタの家も犬をお国に差し出せ!』
などと迫るのです。
もちろん、国や軍部がそのように仕向けているわけですが、ご近所から冷たい目で見られ、非国民と石を投げつけられることは、当事者に断るという選択肢を与えない恐ろしさがあります。
国は、お互いを監視させ、密告させるような状態に普通の人々を追い詰めていたのです。
『こんなことはおかしい』
と、実は多くの人が心の底で思っていたとしても、それを言えない”空気”
それが犬たちを犠牲にしてきたものの正体なのかもしれません。
少し前に、作家の西村京太郎さんが、
『日本人は戦争に向いていない。だから戦争はしない方がいい』
と語っておられました。
日本人には、一旦戦争が始まってしまうと
「みんなが死んでるのに、俺だけ生きてるわけにはいかない」
という考え方をしてしまうところがあるからと・・・
西村京太郎さんは戦争経験者です。
わたしはもちろん、戦争を知りませんが、氏の言葉の意味はなんとなくわかる気がしました。
だって・・・
日本人ってみんな同じ格好をしたがりません?行列も好きだし。
流行りモンに弱いというか・・・
一緒が安心なんですよね。
太平洋戦争当時の日本人が
「みんなが死んでるのに、俺だけ生きてるわけにはいかない」
と思う気持ちと、
現代の日本人の
「みんなが残業してるのに、俺だけ早く帰るわけにはいかない」
と思う気持ち・・・何も変わっていないんですよね。
協調性があって、一斉に同じ方向を向いて周りに合わせることができる国民。
他者への思いやりや犠牲的な精神に厚い国民。
それは、平和な時には褒められるべき長所で、先の震災時なども多くの美談を生んだのかもしれません。
でも戦争という非常事態の時には、その国民性が恐ろしい方向に働くのかもしれません。
だって、
戦争そのものが”大量殺戮”という狂気そのもの
なんですからね。
『マヤの一生』(椋鳩十)という児童書があります。
これは、飼い犬を供出させられる家族を描いた児童書で、作者の椋鳩十さんご自身が、鹿児島で教員をしていた頃の体験を元にしたお話です。
お話の中で、飼い犬のマヤを供出することを最後まで拒み続ける主人公一家が、町の人たちから憎しみを買うようになるという場面があります。
その中には、既に飼い犬を供出し、その犬が殺されたという悲しい経験をした人たちもいたのです。
『こちらは、じっとがまんして、犬を出してしまったのに、あんたはまだ、理屈をこねまわして、犬を出さないそうですなあ』
と・・・
自分が辛く悲しい目に遭ったから、隣人が同じ目に遭わないように守ってあげるのではなく、逆に強いるようになるという心理状態を描いているのですね。
自分がもし、そのようなことを言われたら・・・
いやむしろ、逆にそのようなことを言ってしまうような人になってしまったら・・・
考えるだけでもゾっとします。
最後に、『さよなら、アルマ』の中の冒頭のセリフをご紹介して、このシリーズはおしまいにしたいと思います。
『戦争当時、軍犬として戦地に10万頭が送られたが、故国に戻ってきた犬は一頭もいない』
人間のせいで戦争に翻弄された多くの犬たち
ごめんなさい・・・本当にごめんなさい・・・
人間は、あなたたちに比べて、こんなにもおバカさんです。
<今日のPet Hotel 11!>
ブランちゃん、きれい・・・なんだかこんがり美味しそうよ・・・ |
えへ♪そうでしょ! とってもおりこうだったね。 また遊びにおいでね~~! |
雨だよぅ~!ワチャワチャワチャワチャ・・・ |
ボクの居場所はココ! |
あとココねっ!!(笑) |
この要塞には絶対に誰にも近づくことを許さない”なつ” (怖くて誰も近づけないさ~) |
ボクなんか、オシッコシートの上でも寝れちゃう~ |
ワタシ、このクッションがお気に入り♪ あららハナちゃん、はしゃぎすぎて御髪が乱れちゃってますよ。 |
「おーい、開けて開けてぇえ~~!」(ハイハイ) マメくん、本当に優しくていい子だったね!ありがとう。 また遊びにおいでね~~! そらくん、みんなにとっても馴染んできたねー! |