2018年11月22日木曜日

食肉について考える③

こんにちは。神奈川県 Pet Hotel 11!(ペットホテルワンワン)のお庭番です。





前々回ブログにつづき、食肉の問題についてお話していきたいと思います。


※ここからはあくまでもわたし個人の考え方で、決して「コレが正解」というものではありません。


【わたし自身の食肉に対する考え(その1)】


●落とし所はどこに?


食肉の問題は、先進国で生活する多くの人間にとって矛盾に満ちた難題であることはお話してきたとおりです。

わたしたちのほとんどは、お肉料理が大好きで喜んで食べる一方で、それらの動物たちが殺されるシーンを目にすることを極端に嫌います。

家族の団らんのディナーの席で豚カツを頬張りながら、テレビで豚の屠殺シーンなどが流れると


「勘弁してよぅ~~~~!!」


と言って別な番組にかえてしまいます。

何故ならば、わたしたちは動物の屠殺シーンを見ると


「かわいそう・・・」

「酷い・・・!」

「やめてあげて~~!」


というような気持ちになり、今目の前にある豚カツが、あのような過程を経て自分の食卓に上っているという現実を直視できなくなるからでしょう。


そういう意味では、アニマルライツ主義の人たちの考え方は大変シンプルです。


「かわいそうだと思うなら食べるなよ!人間が動物を殺して食べることをやめさえすれば、そんな矛盾からは解放されるんだよ!」


というワケですね。


わたしは、そう考えてビーガニスト(完全菜食主義者)となっている人の考えが理解できますし、そういう人たちを否定する気はまったくありません。

ただ、アニマルライツ主義の人々がお肉を食べる人たちを激しく批判し、攻撃的な振る舞いをすることは間違っていると感じていますし、アニマルライツ主義の人ではなくても、自分と食文化が異なる人々を非難することもまたおかしいと感じています。

何を食べ、何を食べないかの選択は個人の自由意志にゆだねられていると思うからです。


人類が数えきれないほどの反省をしながら、今現在もなお繰り返しているバカげた戦争は、お互いが自らの主義を「正義」と信じて相手を傷つけ合う行為にほかなりません。


「正義のためなら他の人を傷つけてもいいのだ」


というのでは、あまりに道理が通りません。

現在の食肉のあり方に大いなる疑問を抱き、人間としての道徳的な考えを突き詰めた結果、肉を口にするのをやめるほどの教養と自制心を備えた人たちに、それが理解できないはずはないと思っているのですが・・・



一方で、現在の食肉のあり方になんの疑問も抱かず、自分たちがしている行いへの矛盾点にすら気づかずにいる人々もまた、大変罪深いと思っています。


では、食肉の問題の妥当な落とし所は一体どこにあるのでしょうか?

順を追って考えていきたいと思います。




●肉食そのものは悪なのか?


わたし自身は、食肉の問題についてアニマルウェルフェアの立場を表明します。

つまり、食肉そのものは「アリ」ですが、そのあり方について、特に先進国の現在のやり方は大いに見直す必要があると感じているということです。

その理由を今からお話します。


●食肉は「アリ」


まず、食肉は「アリ」だとわたし自身が考えている理由です。

わたしたち人間は、神の使いではありません。

この地球上でライオンやキリンやネズミやイルカや鮭やモグラやミミズやてんとう虫やダニやミジンコなどと共生している生物の一種です。

それぞれの生物は、厳しい自然環境に対応し、過酷な食物連鎖をかいくぐって自らの種を保存しようと必死で生きています。


分厚い皮膚や密集した体毛、硬い甲羅で身を護る者・・・

強靭な牙や角、鋭い歯や爪で獲物を獲得する者・・・

他の者が食べない物だけを食べることで生き延びようとする者・・・

土の下や草むらに身を潜めてワナをこしらえて獲物を捕まえる者・・・

足の速さやすばしっこさを武器に自然界を生き延びようとする者・・・


そして、そういった一切を持たない代わりに圧倒的な頭脳の発達によって現在の繁栄を果たした者・・・(←人間だね)


ただ、そういうことなのだと思っています。

それぞれの種が自らと自らの子孫の繁栄を本能的に願い、それぞれのやり方と工夫によって戦略的に暮らしているんです。

そのため、人間が独自のやり方によって、現在のような暮らしを手にしたこと・・・それ自体はまったく誤りではないと思っています。


そういう意味では、食べられる食糧のバリエーションができるだけ多ければ多いほど、その種は長く生き延びると考えています。

たとえば、特定の葉っぱしか食べられない動物がいたら、食べられる植物を食べ尽くしてしまったり、気候の変動でその植物が全滅した場合、その動物は絶滅の危機に瀕してしまいますね。

長年そういう「バッカリ食べ」をしてきた動物は、消化器官がその植物専用になってしまうからです。


ですから、わたしたち人間も、より多くの物を消化できる体を維持していくのが、生物として種を保存する本能に沿った正しいあり方ではないかと思っています。


そして、その本能的な選択行動は、他の動物たちと何ら変わりがなく、特段「悪いこと」をしているようには思っていません。



●高い知能とセットの道徳心


一方で、自然の摂理はよくできていて(それを人は”神”と呼んでいるように思っています)

人間は高い知能とセットで豊かな情緒や道徳心を手に入れました。

それによってわたしたち人間は、自分たちの知能が可能にした「やりたい放題」に、常に「コレでいいのか?」という疑問を感じるようにできているのでしょう。

他の動物に憐れみの心を抱くほどの豊かな感情や、自分たちの行いを省みる高い道徳心は、人間以外の動物が持ち合わせていないものですね。

つまり、人間は地球の覇者となり、地球を破滅させるほどの知能を持つ一方で、それに歯止めをかけるストッパーも持っているということなのだろうと思います。

これが他の動物にはない重大な責任を背負っているという苦悩の始まりなのかもしれません。


だからといって、


「かわいそうだから動物は一切食べないことにしよう!」


だとか


「人間が滅ぶことが地球のためになるからみんなで自殺しよう!」


というような極論は生物として不自然ですし、もっと言えば”奢り”に近い考え方ではないかと思っています。



では、食肉そのものは「悪」だと思っていないにも関わらず、現在のやり方に問題を感じているのは、どのような点についてなのか・・・それはまた次回にお話します。





<今日のPetHotel11!>

お外が寒いからか、やたらとお部屋にいたい子が多い
オットリ柴のBくんは
小さい子がワチャワチャするので目が回りそうに(笑)

Bくん「落ち着いてお昼寝もできないよ(タメイキ)」

で、結局選んだ場所はお部屋のど真ん中の
みんなの通り道なんかーーい!!(^_^;)

Kくんととしお
大きさといい年齢といい、遊び相手にもってこいと
思っていたら、今日ようやくワンプロを始めたよ!

どっちもガンバレー!!(*^_^*)

ガジガジは真似しなくていいからね・・・(-_-;)

Kくん「するもんか」

甘えん坊でいつも一緒のふたり♪

JちゃんはAちゃんを頼りにしてるけど、
Aちゃんだってタイヘンなのよね~!
ガンバレ!!

Gくん「ボクっていつもこのお部屋にこもっているって
思ってるでしょー?」

Gくん「でもね、ときどき気分転換にお部屋から出てきて
こんな風にクッションでくつろいでるんだよ~!」

そうすると・・・お部屋に戻ってきたときに
必ず誰かしら他の子が入り込んでるんだよね(笑)
Tくん「あ!誰ですか?入ってこないでくださいっ!」
Gくん「ここ・・・ボクんちなんだけど?」

小さな小さなマルチーのTちゃん

みんなと一緒にお散歩上手にできたよ!

海を見るとハシャイじゃうBくん
「はぁ・・・脱走したい」

やーめーてーよーね~~~~(-_-;)

Gうん「お・・・?!」

あれは・・・・ボクの仲間かな?

Aくん「違うと思うよ~~~」

お馬さんだよね(^_^;)









0 件のコメント:

コメントを投稿