前回ブログのつづきです。
【”その場しのぎ”をやめようよ】
●バッシングに頼らざるを得ない弱者の現状
これまで、
普段は無関心なくせに、何かコトが起きると一斉にバッシングをする世論
について批判的な書き方をしてきました。
けれども、世論のバッシングには一定のメリットもあります。
例えば、強大な力を持った者に虐げられている弱者が正攻法で自分の窮状を訴えても、動くべき部署や機関がまったく動いてくれず、何ら改善されず泣き寝入りをしていたようなことが、現状を広く世間に知らしめることによって世論の大きなムーブメントを追い風にして一発逆転ができる・・・といったケースが大変多いですね。
事例としては・・・
・Me too 運動によって大物プロデューサーから長年セクハラを受けてきた女優たちの被害が明るみに出た。
・スポーツ界や教育の現場で横行していた指導者による体罰や暴力に厳しい目が向けられるようになった。
といったことがあります。
これは確かに大きな一歩だと思っています。
でも・・・
「キリがないな」
そうは思いませんか?
ひとつひとつの事柄が明らかになるたびに、メディアが取り上げて世間がワーーっと騒ぎ、また別な問題が明らかになると、そっちへワーーっと話題が移っていく・・・
これでは、
・なぜ、そういう事が起きたのか?
・社会の体制や構造、人々の意識をどう変えなくてはならないのか?
・そのためには何が必要なのか?
といったことを置き去りにしたままです。
●国や行政の怠慢の例
子供や動物の虐待に関する悲惨なニュースが流れるたびに、世間はザワザワします。
なのになくならないのはどうしてでしょう?
事件になる前に児童相談所や保健所への通報が何度かあったのに・・・というケースが後を絶たないのはどうしてでしょう?
いじめを受けていた子供が自殺をすれば、やはり世間はザワザワします。
なのになくならないのはどうしてでしょう?
学校も教育委員会も、みんな実はいじめを把握していたのに、それを隠蔽しようとする体質が改まらないのはどうしてでしょう?
●トカゲのシッポを攻撃しつづける世論
結局のところ、世論が動いて大きなムーブメントを起こしたように見えても、実際には蛇口とはうーんと遠い下流の方で、その場しのぎで問題に「カタを付けたつもり」になっているから何も進歩しないのではないでしょうか。
世間のバッシングを受けて責任を取ったり、痛い目にあったりするのが”トカゲのシッポ”だけなら、本体はまた新しいシッポを生やして今まで通りのやり方を続けるだけでしょう。
動物保護団体が、今のまま延々受け皿を続けていくことが不可能なことくらい、だれが見ても明らかなのにも関わらず、一向に蛇口にたどり着けないのもこれとまったく同じ構造だと思っています。
「あの保護団体がやっていることは結局のところ多頭飼育崩壊じゃないか!けしからん!みんなで断固抗議しよう!!オーーーッ!!」
「あの保護団体に保護された動物たちは、こんな酷い環境に暮らしているらしいぞ!なんてひどい保護団体なんだ?!みんなで吊るし上げよう!!オーーーッ!!」
「あの保護団体の責任者は、実は虐待魔だ!住所や家族や前歴をさらして成敗してやろう!!タイホだタイホだ!オーーーッ!!」
これでは・・・・残念ながら何にも・・・本当に何にも変わらないことに、いいかげん気づかなくてはならないのではないでしょうか。
●保護活動にどこまで求めるのか
多くの人たちは、動物保護団体にとても高い理想を求めています。
いえ、押し付けています。
でも、よく考えてみていただきたいのです。
動物保護団体や保護活動家のボランティアたちに、わたしたち(国)は一体どこまで甘え続けるつもりなのでしょうか?
最初は・・・
「保健所やセンターが満杯になったら犬や猫が殺処分されてしまうよ!その子たちになんとか生きるチャンスを与えてあげられないか?!」
ということだったのではないでしょうか?
つまり、動物保護団体の役割は、センターが一杯にならないようにとりあえず動物を引き出し、一時的に場所とゴハンとお水を提供するという役割だったはずです。
それだけでも大変な負担だということは明白ですね。
ところが・・・
蛇口は開きっぱなしで行政がそれを締めることはありません。
譲渡活動も思うように進まず、動物たちはまるで保護団体で飼われているような状況です。
そうこうするうちにどうなったかというと・・・
ボランティアの彼ら(彼女ら)の多くは、そもそも動物好きな優しい心の持ち主です。
ですから、自分たちの生活を犠牲にしてでも、自分たちにやれることはできる限りやろうとしてしまう人たちです。
そこで、単に場所とゴハンとお水を提供するにとどまらず、
・不幸な子を減らすために避妊手術をしよう
・新しく引き取る飼い主さんが飼育放棄しないか、キチンとフォローしていこう
・保護している子たちが病気になれば病院に連れて行こう
・保護している子たちが快適に暮らせるように施設を拡大しよう
・冷暖房が壊れたら買い替えよう
・ストレスを溜め込まないように毎日運動できるようにしてあげよう
そんな風にどんどんどんどん目の前の動物たちにやってあげるようになりました。
すると・・・
いつの間にかそれがまるでボランティアの義務であるかのように世間は錯覚してしまったんです!
世間が、一時的に命を救う受け皿となってくれた保護団体に対して「飼い主と同等のもの」または「飼い主以上のもの」求めているのは、ものすごーーーくおかしなことなんですよ?!
わたしたちひとりひとりがすべきことは、明日には殺されるかもしれない命に少しでも猶予を与えた保護団体に、理想を押し付けてバッシングすることではありません。
センターから溢れ、受け皿に落っこちていく動物たちを減らすために、蛇口をどうやって締めるかを真剣に考え、その弊害になっている大きな権力の方にバッシングの矛先を向けるべきです。
●わたしたちにできること
まず、一番簡単にできることは保護団体の邪魔をしないことです。
明日殺される命を、ほんの数日でも延ばしてくれた保護団体に、まずは感謝することです。
その上で、「延命だけでは足りない」と感じる部分をどうするか考えましょう。
つまり、強大な力を持った「世論」の矛先を正しく蛇口方向に向けましょう。
で、その方法ですが・・・・
◇政治に興味を持とう
「はぁ?なに面倒くさいこと言ってんの?」
と言われてしまいそうですが、根っこの解決とはそういうことです。
自分の暮らす自治体や国の法律や条例がどうなっているのか?なぜ問題が改善されないままなのか?ということに興味を持って、権力をしっかり監視していきましょうよ。
おかしいと感じることには声を上げましょうよ。
ペットの命をないがしろにし、食いものにしてガッポリ儲けている業界団体と政治家の癒着構造など、蛇口がビクともしない原因がだんだんと見えてくるはずです。
トカゲのシッポに矛先を向けている時間があるなら、選挙には必ず行きましょうよ。
選挙に行くなら、投票に必要な情報は必死で集めて、まともな議員や政治家を選べる目を培いましょうよ。
なーーーんにも考えずに目の前の船に乗り込んでおいて、その船がボロだったことに文句を言うのは、ただの甘ったれですね。
この国は、わたしたちやわたしたちが愛してやまない犬たちが乗っている船なのですから、自分たちで常に安全確認し、修理し、正しく舵を切っているかチェックしていかなくてはならないという意識を、ひとりでも多くの人が持つようになれば、その時に蛇口はやっと締まるのかもしれません。
本当に動物たちにとって幸せな社会というのは、質の高い保護団体がたくさんある社会ではありません。
彼らが望んでいるのは、保護団体などひとつも必要なくなる社会です。
それを忘れないようにしたいものですね。
<今日のPetHotel11!>
Σ(゚□゚;) 犬の抜け殻?! |
外は雨・・・ |
お庭でのんびりするのが大好きなHちゃんは うらめしげに空模様を眺めます(;^ω^) |
ボス「ナツぅ~遊ぼ!」 ナツ「え・・・やだ」 つれな~~~い(;・∀・) |
忙しくて放置していた結果、 ボボボーボ・ボーボボ になってしまったチャコ・・・ |
やっと毛刈りできたよ~~♪ |
うん!おめめパッチリ♪ |
チャコ「つかれた~~」 |
よく頑張ったね! ご褒美のオヤツ「イリコのボーロ」 早く「ヨシ」って言ってぇ~~~! |
ナツも毛刈りする~? あ・・・目線を合わせないな(;・∀・) |
「ボクは毛刈りはいいよ。 ご褒美のオヤツだけもらえればいいや!」 そーはいくかーーい!! |
・・・というわけで、犬の抜け殻の正体は チャコの刈った毛が偶然犬の形になったモノでした(笑) ちょっとトイプーっぽい?! |
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