前々回ブログのつづきです。
【正しいボランティアを論じる資格】
●批判と圧力
飼い主さんに飼育放棄されたペットや、ご家族から介護を託された終末期の患者さんのお世話をすることが、どんなに過酷なことかを前々回のブログでお話してきました。
このようなことを言うと、必ずといっていいほど
「イヤなら辞めればいいじゃないか」
「好きでやってるんだろう?」
「仕事なんだから甘ったれたことを言うな」
というようなご意見が出てくるかと思います。
なるほど、そうなのかもしれませんね・・・
でもわたしは、人間というのはそんなに強いものだとは思っていません。
「不幸な動物を少しでも減らしたい」
「受け入れ先のない終末期の患者さんを、人生の幕を閉じるまでお世話してあげたい」
こんな風に高い志と優しさを持って、保護活動や医療のお仕事を頑張っている人たちに対して、
「アンタら、こうあるべきだよ」
というような高圧的な批評をする資格は、少なくとも同じようなお仕事をしている人以外にはないように感じています。
つまり、「押し付けている側」には批判の資格がないと思っています。
ここからは、解りやすくするために”ボランティア活動”に的を絞ってお話していきますね。
●「こうあるべき」という批判
たとえば・・・
◇売名?
よく、被災地にボランティア活動に行ってメディアに取り上げられている有名人に対して、
「どうせ売名行為だろう」
「前日には高級レストランで豪華な食事をしていたぞ!」
「豪邸に住んで高級車に乗っている富裕層が、優越感を味わいたいだけだろう」
などという批判を浴びせている人がいます。
わたしはこう思います。
何もしないよりも、う~~んといいじゃーないですか!
こうしたバッシングを恐れて、被災地の人たちのために本当は何かしたいと感じているのに手を引っ込めてしまう有名人が増えてしまうとしたら、とてもとても残念なことです・・・
◇偽善者?
有名人に限らず、たとえば寄付金で運営している動物保護団体の人が宝飾品を買いあさり、高級車を乗り回して赤坂のクラブや料亭通いをしている・・・ということを知ったら、みなさんはどう思いますか?
「全国の善意の人から寄付金を募って私腹を肥やしているんじゃない?けしからん!!」
とは思いませんか?
じゃあ、寄付金で運営している保護団体の人が月に数回 家族とちょっとした外食をしたり、休暇を取ってライブを観に行ったり、ちょっとだけ値の張るブランド物のTシャツやGパンを身に着けている程度ならどうなんでしょう?
やっぱり見る人によっては
「アンタらの外食費やライブに行く資金や高価な被服代を寄付しているワケじゃないんだよ!」
なーんて言われちゃいそうですね。
では、寄付金で運営している保護団体の人は、いったいどんな服装をしてどんな生活を送っていれば”偽善者”のそしりを免れるんでしょうか?
365日、休みも息抜きもせずに健康を害するほど働いてひたすら動物たちに奉仕し、穴の空いた安物の洋服を着ていなければいけないんでしょうか?
わたしはこう思います。
保護団体に寄付するという行為は、自分たちができない大変なお仕事を自分たちの代わりにやってくれる人への報酬も含めたものだと考えるべきではないでしょうか。
もし自分が寄付した相手が、集めたお金で本当に私腹を肥やしていたとしたら、悔しい気持ちは解りますが、自分の見る目のなさを悔いるしかないでしょう。
寄付をした側の人はどういう生活を送っているのでしょうか?
稼いだお金をほぼ全額寄付に回して、爪に火を点すようなギリギリの生活をしているのでしょうか?
人が嫌がるような辛いお仕事を請け負ってくれている人たちに対して、人並み以下のつましい生活を強いる「らしさ」の強要は、絶対にあってはならないことだと思います。
このような押し付けが当たり前のように行われるようになれば、保護活動をしようと思う良い人材はどんどん減ってしまうでしょうし、元々は”よい人”だった人が、健康や精神を病んで”おかしな人”になってしまう可能性が高まってしまうように感じています。
それは非常に残念なことだとは思いませんか?
◇金儲けのための宣伝?
今回、書類送検された動物愛護団体の理事長Y氏は、保護活動の他にもペットホテルやペットの葬儀会社を経営していたようです。
そのことで
「非営利団体が営利活動をしていること自体アヤシイ!結局、保護活動は金儲けのための宣伝ツールでしかなかったんでは?」
という意見が多く挙がっていました。
誤解のないようにお断りしておきますが、Yという男が動物たちにした虐待を、わたしは絶対に許すことはできません。
けれども、この営利活動へのバッシングには違和感を感じました。
坊主憎けりゃ袈裟まで・・・・
という感じなのでしょうか(;・∀・)
このバッシングは、言い換えるとこういうことになります。
「動物保護活動をする者は、その活動資金を自分で稼いではいかーん!
保護活動は保護活動らしく、活動資金を全額寄付で賄うべきだ!」
おかしいとは思いませんか?
寄付金だけでは保護している動物たちの餌代や治療費を十分に賄うことができずに、グッズ販売などを行っている団体は数多くあります。
わたしが尊敬する中村信哉さんは、訓練を請け負った「咬み犬」をどうしても矯正させることができなかった場合、その犬を引き取って終生ご自分の元で面倒をみておられます。
それは端から見れば慈善事業ですが、中村さんは寄付金の申し出を断り続けておられます。
理由は
「引き取った犬は自分の犬。自分の犬の面倒は自分が稼いだお金でみたいから」
ということです。
保護団体にも、いろいろな形があっていいはずです。
事業を成功させて、その自己資金で保護活動をしたっていいではないですか!
Yの書類送検に伴って、
「営利事業をしている保護団体はアヤシイ」
との誤った認識や偏見が世間に広まるようなことがなければいいなぁ・・・と危惧しています。
●「こうあるべき」という圧力
◇理想の押し付け
上記に挙げたことと似ていますが、少し違う角度から・・・
先日、スーパーボランティアと呼ばれる尾畠春夫さん(78才!)が行方不明の男の子を発見して、世の中から大変な脚光を浴びましたね。
尾畠さんは、男の子のご家族から食事やお風呂を勧められましたが、断固として断られたそうです。
そのことについて問われ、尾畠さんはインタビューで次のように答えていらっしゃいました。
「対価、物品、飲食、これは絶対、頂かない。
敷居をまたいで家の中に入ることもボランティアとして失格だと思っている。
私はそれで良いと思うんですよ。
人がどうしようと関係ない。
尾畠春夫は自分なりのやり方がある。
それで通しただけ」
尾畠さんが大切にしている言葉は
『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』
だそうです。
まったく、尾畠さんは素晴らしい方ですね!!
尾畠さんを称賛する声が高まるのは当然のことだし、いいことだと思います。
けれども、裏返せば尾畠さんがこれほどまでに評価されているのは、ふつうの人にはなかなかできないことをされているからです。
尾畠さんが仰っているように、これは尾畠さんの信念として行っていることです。
その信念は本当にカッコ良く、心から尊敬します。
でも・・・
それを世間が
「尾畠さんこそが真のボランティアだ。ボランティアとはこうでなければならない!」
とゆーよーなことを偉そうに言うのは、ぜったいに違うとわたしは強く思っています。
謝礼を拒否しなかったり、出された食事をありがたく頂戴するようなボランティアを「偽物」呼ばわりするような風潮はおかしいし、結果的にボランティア活動の輪を縮小することにつながっていくように感じています。
ボランティアって・・・そんなに体育会系みたいなものではなくて、ひとりひとりが、自分に無理なくできることをできる範囲で気軽に行うことが基本ではないか・・・それでいいんじゃないの?
理想ってヤツは自分だけが抱くからカッコいい。
他人に押し付けた途端、とんでもなく醜くカッコ悪いものに豹変してしまう・・・
だから尾畠さんはカッコいいんだ!
そんな風に思っています。
おっと・・・熱く語り過ぎて長くなってしまいました。
つづきはまた次回に~~~(^▽^)/
<今日のPetHotel11!>
朝の海岸さんぽ♪ ヨーキーズは、お泊り最後のおさんぽだね~ |
甘えん坊のAちゃん |
マイペースのSちゃんと おっとりさんのFくん |
初日はずいぶん引っ張っていたけど、すごく 上手におさんぽするようになって、 えらかったね~~~!! |
お帰りの時間までお庭でHちゃんと いっぱい遊んで・・・ |
さあ!おうちに送っていく時間だよ~~! 「はぁーーーーい♪」 |
準備はいいかなー? |
レッツらゴーーーッ!! とっても楽しかったよ、ありがとう(^▽^)/ |
車が出発しちゃっても Hちゃんはしばらく見送っていました・・・ |
夕方の海岸さんぽ 心なしかさみしそうなHおばあちゃん 安心してね、明日は超元気な あの子がやってくるよー!(笑) |
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