前回のブログで
ずーっと ずっと だいすきだよ (版元 評論社 ハンス・ウィルヘルム/作 久山太市/訳)
という絵本をご紹介しました。
今日は、この本の私なりの解釈を書いてみたいと思います。
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ときどき、エルフィーが
わるさをすると、うちのかぞくは、すごくおこった。
でも、エルフィーをしかっていながら
みんなはエルフィーのこと
だいすきだった。
すきなら、すきといってやればよかったのに
だれも、いってやらなかった。
いわなくっても、わかると
おもっていたんだね。
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『言わなくてもわかると思っていたんだね』
この部分を取り上げて、
【思っているだけでは伝わらない。愛情を言葉にすることが大切】
という風に解釈されていることが多いようですが、私は、
『言わなくてもわかると思っていたんだね』←『うん、そうだよ!わかっているよ!』
と思いました。
家族がみんなエルフィーのことを大好きだったことは、ちゃんとエルフィーに伝わっていたし、十分にわかっていたと思うのです。
言葉を持たない犬は、本当に愛してくれている人かどうか?は必ずわかる生き物だということは、愛犬家の皆さんならよくご存じのことと思います。
ですから、ポイントはむしろ、
エルフィーに伝わったかどうか?
ではなくて、
飼い主側がエルフィーへの愛情を『伝えきれた』と確信できるかどうか?
ということのように思うのです。
その愛情の伝え方は、必ずしも言葉によるものである必要はなくて、自分のできる範囲内で、自分が『愛情を伝えられている』『愛情がワンコに伝わっている』と思える自分なりのコミュニケーションをしてあげればよいということです。
逆に言えば、
毎晩ルーティンワークのように『大好きだよ』と言えばそれでいい
というものではないのは明白ですよね?
私の知人で、奥様と結婚当初に「毎日『愛してる』とお互い言うこと」という約束をしたので、言わないと怒られるから仕方なく言っている・・・という人がいますが、それでは意味がありませ~ん( ´艸`)
ごはん、飲み水、お散歩、排泄のお世話、健康管理は飼い主の当然の義務として、どんなに忙しくても、1日にほんの短い時間でも構わない。
テレビやスマホを忘れ、写メを撮ることもせずに100%その子のことだけを見て、その子のことだけを考え、愛情いっぱいに抱いてやったり撫でてやったりする・・・
(実際、その時に当然言葉もかけることになるとは思いますが・・・)
絵本の中での、以下の部分
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ぼくはエルフィーに、やわらかい
まくらをやって、ねるまえには、かならず
「エルフィー、ずーっと、だいすきだよ」っていってやった。
エルフィーは
きっとわかってくれたよね。
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『きっとわかってくれたよね』
”ぼく”は、自分なりのやり方で、エルフィーに愛情を伝え続けてきました。
それによって、エルフィーに自分の愛情が伝わっている・・・そう確信を持てていました。
だから、エルフィーが死んでしまった時も、他の家族に比べていくぶん気持ちが楽だったのだと思います。
今回のテーマはペットロス症候群です。
愛犬を亡くして、ペットロス症候群になるような飼い主さんが、ワンちゃんを愛していなかったはずがありません。
忙しくて時間が十分に取れなければ取れないなりに、その人その人の精一杯の愛情をかけてあげていたはずです。
その愛情は、必ずワンちゃんに伝わっています。
ですから、ワンちゃんが『愛されていなかった』と感じていたかもしれないという懸念は必要ありません。
それでもなお、どんなに愛情をかけていても、愛情深い飼い主さんならなおのこと、
『もっと、こうしてやればよかった』
『もっとできたことがあったのではないか…』
と感じてしまうものです。
この絵本の”ぼく”がしていたように、その日その日を悔いが残らぬうように「今日も精一杯の愛情を伝えきれた」と確信できる過ごし方をする・・・
その繰り返しによって、ペットロス症候群の原因のひとつと言われる、罪悪感や後悔を幾分軽減させることができるのではないかと思います。
ここまで、今まさにワンちゃんを飼っている飼い主さんが、将来ペットロス症候群にならないためにできそうなことを書いてきました。
次回は、既に愛するワンちゃんを亡くして、現在悲しみから立ち直れない飼い主さんに向けた内容にしようと思います。
息子が”なつ”に愛情表現しているところ ”なつ”が迷惑そうにしているのは気のせい気のせい(^-^; |