2017年3月9日木曜日

安楽死という選択


以前、『老犬介護の悩ましい問題』というタイトルで、老犬の延命治療について考えました。

今日は更に踏み込んで、安楽死について考えてみたいと思います。

【安楽死はありか?なしか?】

この問いに即座に答えられる人はいるのでしょうか?


少なくともわたしは「う~~~ん・・・」と考え込んでしまい、即答することはできません。

昨日、兵庫県警のお手柄警察犬 グライフくんのお話をしましたが、次の動画もアメリカの警察犬のお話です。
ご覧になったことがある方も多いかと思いますが、ぜひご覧いただきたいと思います。


『152人を逮捕した警察犬が最後の敬礼をうけ安楽死に…』



わたしたちは、この動画に限らず、人やペットの安楽死について話し合う時はいつも、堂々巡りをし、そして結局結論は出せずに終わってしまいます。

倫理的な観点から考えると、

『そもそも生物の生死を、自分自身の生命維持(栄養の摂取や危険回避など)以外の目的で左右する権利はないのではないか?』

という風に感じてしまいます。

けれども、生き物は自由であるべきだ・・・という観点からみると、

『もう苦しむのはいやだ。どのみち近い将来亡くなるのであれば、さんざん苦しんだ後、ひとりぼっちで真夜中に亡くなるよりも、たくさんの愛する人々をに囲まれ、別れを告げて眠るように安らかに死を迎えたい』

という選択はありのような気もします。

一方、そういった意思表示をできないペット(ここでは犬に限定して考えます)については、実際に本犬さんが何を望んでいるかはわかりません。
飼い主さんの判断になります。

苦しそうにあえいでいる姿を見れば

「もう楽にしてあげたい」

と思うでしょう。

けれども、その苦しみの合間に、懸命に飼い主さんにシッポを振ろうとしたり、ご主人の帰宅時には、必死で起き上がろうともがく姿を見れば、

「この子は生きようとしている。それを奪うことはとてもできない」

と感じるでしょう。


安楽死についても、老犬の延命措置と同様に、選択肢があるからこその苦悩がありますね・・・


答えは見つからなくとも、こういったことが現実に起きていることを私たちは知っています。
知っているのであれば、他人事と思うことなく、近しい人と意見を交わし、話し合うこと・・・それはとても大切なことだと思います。

みなさんは、安楽死という選択について、どう思われますか?

ボス「ハルちゃんは”なつ”と違って優しいなぁ❤」
ハルちゃん「イヤン!”なつオバサン”に怒られるわよ♪」
なつ「だぁ~~れがオバサンだってぇ~~~~?!」
ハル「ヒィィィ!すみませんオネエサンっ!!」