前々回ブログのつづきです。
「猿の惑星(創世記)」
「猿の惑星(新世紀)」
「猿の惑星(聖戦記)」
を観て感じたことを書いています。
【最も高い知性を持った最も愚かな生物】
●犬に見つめられて・・・
日々たくさんの犬達と触れ合っていると、彼らのあまりにも美しい澄んだ瞳に、自分が恥ずかしくなるような感覚を覚えることがあります。
もちろんほとんどの場合、犬と見つめ合う時に感じていることといえば
「かぁ~~~わいいなぁ~~~~~(デレデレ)」
なんですが、ふとした瞬間に彼らがジっと見つめる瞳の奥に、軽蔑や憐れみの情のようなものが見える気がするんです。
きっと、そんな時は自分の中に「思い当たる何か」がある時なのだと思いますし、実際に犬たちがそんなことを思ってわたしを見ているかどうかは判るはずもありません。
犬にその澄んだ瞳でジっと見つめられて「恥ずかしい」ような気持ちになるのは一体どうしてなんでしょう・・・
●知能が高いとエライのか?
犬たちが求めていることはとてもシンプルです。
彼らは遠い昔に人間と共に暮らすという選択をしましたが、その目的は生き延びるためです。
食糧と水と安全を確保するのに、人間と共生することが最善の手立てだと感じた犬たちは、人間が自分たちと一緒にいたくなるような行動を身に着けていきました。
人間の役に立つ仕事をし、人間の指示に従い、人間が喜ぶ仕草をし、人間がメロメロになるような上目遣いをします。
それらの行動は、犬たちが長年培ってきた生きるためのスキルであって、決して人間に囚われて仕方なく隷属しているのではありません。
にも関わらず、わたしたち人間は、ともすると
「犬よりも人間のほうがエライ」
などといった”トンデモ勘違い”をし勝ちです。
もちろん、わたしたちは人間社会の秩序や自分たちの暮らしを守らなくてはなりません。
そのためには犬たちを正しくしつけ、管理していく必要があります。
犬たちが、わたしたちが逆らえないようなカワイイ表情をしてエサをねだって巧妙にわたしたちをコントロールしているように、わたしたち人間も犬たちをコントロールしているということですね。
ですから、両者の関係は対等な共存関係で、お互いを尊重し、譲り合って仲良く暮らしていくのが正しい姿なのだと思います。
間違っても自分たち人間のほうが犬よりも偉いなどといった奢りを抱かぬようにしなければならないんですね。
ずっと昔、犬と人間が交わした約束を忘れ、調子に乗って偉そうに振る舞うリーダーに対して、犬たちは次のように目で語りかけているのかもしれません。
●犬との約束
「オレたちは、お前たちに支配されるつもりは毛頭ないんだ。
オレたちとお前たちはずっと昔に、共に助け合って暮らして行こうと約束したじゃないか。
その約束を忘れて、お前たちの都合ばかりを押し付けてくるのはやめてくれ。
オレたちには、その気になればいつだってお前たちを噛み殺す能力があるのに、そうしないでいるんだってことを忘れるな。
確かにお前たちがリーダーだ。
けれども、リーダーっていうのはエライんじゃない。
群を率いて群を幸せにする、賢い者が担う「役割」なんだ。
人間がその役割をこなせず、群の幸せを維持できないと判断した時には・・・もはや自分たちは人間についてはいけない。
犠牲になったり道連れになるのはご免だからな。
そのことを決して忘れるなよ!」
●圧倒的な愚かしさ
無防備なツルツルで柔らかい肌を持ち、爪も牙も鋭い歯もない人間が、この地球上でぬくぬくと生きながらえているのは、高い知能の賜物だというお話をしてきました。
人間の知能が高いのは、犬が人間にとんでもなくカワイイ上目遣いができることと同じ・・・
単なる「自らの身を助け、生き延びる特技」です。
なのに、その範囲を逸脱して特技を振りかざし、あたかも人類が地球上の覇者のように振る舞い、他の動物たちを支配できると勘違いするほど愚かな動物は、人間をおいて他にいるでしょうか・・・
一旦炸裂したり漏れ出したりすれば、自分たちだけでなく、その土地に住むすべての生命体を死に至らしめるような放射能や毒物を競うように作り出して保有するほど愚かな動物は、人間以外にいるでしょうか・・・
犬をはじめとする人間以外の動物は、そんな愚かしいことを決してしないという意味で、人間なんかよりはるかに知性的で理性的だという皮肉な結論に至りますね (-_-;)
もしかすると、時おり犬にジっと見つめられて感じる「恥ずかしさ」の正体は、ついつい自分たち人間のほうが「エライのだ」というスットコドッコイな勘違いを、無意識のうちに持ってしまう奢った自分の態度に対する恥ずかしさなのかもしれません。
そんな時は、自分が今向き合っているこの犬の尊厳を大切に扱えているのだろうか・・・
と自分に問いかけずにはいられません。
このあたりのことは、長くなるので具体例を交えてまた次の機会にでもお話したいと思っています。
●猿のモデルは日本人?
余談ですが、今回ご紹介した「猿の惑星」の小説に出てくる猿のモデルは日本人だという説があるのをご存知でしょうか?
原作者のフランス人作家 ピエール・ブールが戦時中に日本の捕虜になった経験から着想を得たというんですね。
当時、西欧の先進諸国から見れば日本は後進国でした。
生活水準が低く、欧米式のマナーを知らぬ日本人のことを、当時の西欧人たちが「猿」と揶揄していたことは広く知られています。
自分たちがバカにして「猿」と呼んでいた日本兵の捕虜となり、支配下におかれるという強烈な経験をしたピエール・ブールが、そこからヒントを得て「猿の惑星」を書き上げたとしても不思議はありませんね。
けれども、実際にそうだったかどうかについて、作者本人はなんら公式に述べているわけではないようです。
日本人の中には、この逸話に憤慨して
「『猿の惑星』なんか喜んで観るヤツの気が知れない!
バカにされているのに悔しくないのか?!」
なーんて言う人もいるみたいです。
確かに日本人としては、あまり気持ちのいいことではないのは確かですが、もし本当にピエール・ブールが日本人の捕虜になった経験を元にこの「猿の惑星」を書き上げたとしても、わたしはまったく気になりません。
むしろ、優越感を感じて奢っていた者が自分の恥ずべき愚かしさを知ったということを著しているのだとしたら、それは素晴らしい気づきだと感じるからです。
どのみち・・・日本人だって当時は欧米人のことを「野蛮」だの「鬼畜」だのと呼んで蔑んでいましたし、今現在も何かと同じアジアに暮らす人達のことを近親憎悪のように見下しているような表現をしていますよね・・・
個人的に「猿の惑星」は
・多様性を認めず排除することがいかに危険なことか
・知性を間違った方向に使うことがいかに危険なことか
・他者を見下して驕り高ぶっていると、いつかとんでもなく痛い目に遭うのではないか
といったことをわたしたちに本気で考えさせてくれる力を持った、素晴らしい作品だと思っています。
お時間ある時に、ぜひ三部作をご覧になってみてくださーい(^o^)
<今日のpethotel11!>
ウリだよ~ん! また遊びにきてあげたよ♪ |
わーい、あそぼあそぼ♪ |
ね、ホラホラ早くぅ~! |
Cくん、なんだかよくわかんないけど 乗せられて遊びはじめました(笑) |
ウリくん「Mくん、ひさしぶり~!」 Mくん「また会えたねー!」 |
ウリくん「さ、いっぱい走ろうっと!!」 |
「・・・って、チョット!! 土のところに入れてよぅ!」 朝方の雨でぬかるんでるからダーメ! |
Mくん「入れて~~」 ダメだったら!(ホンキ出したらMくんは 入れちゃうんだろーけど) |
ハナちゃん「お庭に入れて~~~~」 だからダーーーーメ!! |
じゃあ・・・何して遊ぼっか~・・・ |
追いかけっこ!! |
ウリくん「Jくん、キミ脚速いね-!」 Jくん「そ・・・そうあなぁ 照」 |
ウリくん「よかったら、『お庭をやみくもに走る会』に 入会しない?」 Jくん「・・・・・・・・しない」 |
ウリくん「えーなんで~~?今なら入会金ゼロだよ~」 |
「ねえねえ、木の枝投げて~~~!」 はいはい(笑) |
それいっ!! |
もういっかーーーい!! はいはい・・・ |
Mくんがゲット♪ |
取り合いっこ |
いい勝負だね! |
もういっかーーーい!! はいはい・・・(笑) |
Dくん「やったー!ボクが取ったよ~♪」 |
Dくん「ダメ!あげないよ!!」 Mくん「・・・・けち!」 |
Dくん「じゃあ、ゆずってあげようか?」 |
「なんちゃって、ウッソ~ん!」 Mくん「・・・・・」 |
「さ、もう一回投げてぇええ~~~」 はいはい(笑) |
ボス「やっとゲットできたどーーー!!」 |
「さ、もう一回投げてぇ~~」 はいはいはいはい(笑) |
夕方のおさんぽ♪ |
Mくん「Dくん帰っちゃうの?またこんど 一緒に遊ぼうね!」 Dくん「うん!また会えたらいいね~」 |
ハナちゃんも今夜お帰りだね。 ごはんをしっかり食べて長生きしようね~! |
さーて、ウンチも出たし、帰ってお水飲もうか~! |
夜になってAちゃんがやってきたよ! Aちゃん「おひさしぶりで~す」 |
今日はちょっと飼い主さんとのお別れが寂しかった みたいなAちゃん。 でも、すぐにみんなと馴染んで元気にしてまーす (^o^) |
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