2017年1月16日月曜日
問題行動について⑤
いやあ、寒いですねぇ~
昨日、生まれて初めてのぎっくり腰を経験し、いまだに湿布とサポーター装着の上、緩慢に動くお庭番です。
何の根拠もなく、私は
オバケ
鼻血
骨折
ぎっくり腰
これらとは無縁の生涯を送るんだっ!
と思い込んでおりましたが、数年前にタンスの角に足の第四指をぶつけて骨折。
今回ぎっくり腰を経験してしまったことで、前説はかなりあやしくなってまいりました。
この分だと、鼻血はともかくいつの日かオバケさんにも遭遇するのではないか_・・・
それだけはどうか神様お許し下さい。せめて友好的な宇宙人にしてください。
という祈りにも似た気持ちでおります。
さて、余談が長くなりすぎました。
我が家の”ボス”の問題点の続きです。
前回、階段を降りることができないボスを、実家の母がヨシヨシヨシヨシと抱きかかえて降りるのを見て、3年前から我が家にやってきたツンデレチワワの”なつ”までもが
「私も抱いて~ん」
と要求し、母が嬉々としてそれに応えるようになったところまでお話しました。
実家に1か月に1度程度顔を出していた私は、その現場を見てこう考えました。
「長年抱かれて階段を降りていたボスを一朝一夕に矯正することは不可能。
けれどもつい先日まで鼻歌まじりに階段を上り下りしていた”なつ”ならば、すぐに矯正できる。
手遅れにならないうちにすぐにやめさせなければっ!」
母がワンたちのごはんの時間となり、”ボス”ボスを抱っこで階段を降りた後、当然のように”なつ”を迎えに行きながら
「まったくもー困ったもんねぇ」
とぼやくのを遮り
「ダメよ!自分で降りさせて」
でも、敵もさるもの。ガンコチワワ(←毎度呼び方が違いますが”なつ”です)は、いくら呼んでもガンとして降りてきません。
こうなりゃもう根比べです。
そんな様子を見た母はといえばなんと・・・
目に涙をいっぱいためて
「そんなぁ・・・かわいそうよ~~!!」
(私を鬼を見るようなまなざしで見る母)
「かわいそうなんかじゃなーーーいっ!!」
私は”なつ”にわざと聞こえるように階段のすぐ下のところで”ボス”にご飯をあげました。
30秒くらいでしょうか、”なつ”は「迎えに来いやー!」と階上で鳴いていましたが、すぐに諦めて軽快な足取りで階段を降りてきました。
私は”なつ”をたっぷりと褒めてあげてからごはんをあげました。
本来”ボス”だって自宅以外の階段は降りられるのですから、”なつ”よりは時間が必要ですが、必ず降りられるようになるはずです。
でも母はそれを試そうともしませんでしたし、むしろ抱っこしないと降りられない臆病な”ボス”がかわいくてたまらなかったのです。
おわかりでしょうか?母が犯した一番のミスを・・・
母は”臆病なボス”を肯定して、その特性を母自らが【強化】してしまったのです。
雷が苦手な犬
花火が苦手な犬
など、いろんなコンプレックスを抱えた臆病な犬はいますが、それを肯定して強化してしまうのは人間だけです。
人間が人間の子供にするのと同じように
「まぁ、怖いの?大丈夫よ。いらしゃい!抱きしめてあげるわ♪」
・・・とこうです。
けれども、犬たちの世界において、臆病なヤツは誰にも(母犬にでさえ)
「カワイソウ」も言われなければ
「ヨシヨシ」もされません。
単にバカにされ、最悪、群の足手まといになると群れから追い出されるだけなのです。
まさか臆病犬を家から追い出せと言っているのではもちろんありません。
でも、臆病な部分やコンプレックスを人間が肯定したり強化することは絶対にしてはならないことなのです。
なぜなら、そうされた犬は「怖がるのはいいことなんだっ♪」と考えるようになり、臆病な面や自信がない面がますます強まってしまうからです。
臆病が故に他の犬や人に不必要に吠えかかったり噛み付いたりすることだって十分に考えられます。
元々、犬としての社会化ができていなかった子が、臆病で神経質なままでいることを許されたために、お散歩やドッグランでせっかくの他の犬との交流の機会を得ても、まったく仲間に入ろうとしないことで、社会性のなさに磨きがかかってしまうこともありえます。
臆病な犬の行動に対して、飼い主さんがすべきことは、それを克服する適切な手助けをして、飼い犬に自信をつけさせてあげることなのです。
母は私を鬼のような目で見て
「かわいそう」
と泣きましたが、臆病を強化されて自信を失い、他の犬たちからも舐められ、自尊心のない犬になってしまうことの方が、犬にとってはモーレツかわいそうなことなのです。
愛犬をつい擬人化してしまう人たちには、そのことをぜひ肝に銘じていただきたいと思います。
長くなったので、つづきはまた次回・・・