2018年6月14日木曜日

手に負えないペット⑥(国は何してる?)

こんにちは。神奈川県 Pet Hotel 11!(ペットホテルワンワン)のお庭番です。





前回ブログのつづきです。


【手に負えなくなったペットの不幸】


●手に負えないペットたち



夫とふたりで、引取り手のいない小型犬を何頭も引き受けていたのに、離婚と元夫の死亡によって家を失い、現在は6匹の小型犬と車で生活しているため、ろくに犬たちの世話をすることができなくなっているFさん。


動物愛護の精神から保護猫活動をしていたはずが、いつしか自身のシェルターがパンク状態になり、実質多頭飼育崩壊現場と化して不幸な猫を量産してしまっていることに気づいていないA女史。


動物愛護を訴え続け、ご自身も不幸な犬を引き取って育てていたのに、ご家庭の事情で自らが終生飼養を断念せざるを得なくなってしまったHさん。



・・・・みなさん、それぞれに理由は異なるものの、ペットのお世話がご自身の手には負えない状況に陥ってしまった人たちです。

彼女たちに


「無責任だ!ちゃーんと最後まで適切な環境で飼ってあげなくちゃダメじゃないか!」


と言うことは簡単なことです。

けれども、何の解決にもなっていませんね。

それができりゃーやってるよ!ってお話ですから・・・(-_-;)


Hさんのようなケースでは、まだ手放そうとしている犬たちが若く健康だったため、Hさんご自身の手で新しい飼い主を見つけて託すことができました。

でも、Fさんのように、高齢で決して健康状態がいいとはいえない犬たちが手に負えなくなってしまった人は、どうすればいいのでしょうか?

引取り手を探すのは至難の業のはずです。


こういう人たちが


「もう無理です!このまま自分がこの子たちを飼っていることは、かえってこの子たちの不幸に繋がるので、誰か助けてください!」


と手を挙げることが、この国では許されていません




●「ギブアップ」を言わせない原因


このようなギリギリの状態に追い詰められてしまう人たちを生んでいるものの正体は何なんでしょうか。

わたしは、主に次のふたつだと思っています。



◇「ギブアップ」を許さない世間の目


「どうしても愛犬を手放さなくてはならなくなってしまったの・・・」


と言う飼い主に、周囲は容赦なく陰口を叩きます。


「ひどいわねぇ~!あんなに可愛がっていたのに、よくもまあ手放すなんて言えるわね!軽蔑したわ!」


保護活動をしている人が、


「保健所に明日殺処分になってしまう子がいます。

ウチはもうキャパオーバーで受け入れられないので、どなたか助けてあげてください」


とSNSで発信すると、


「キャパオーバーって・・・死んじゃうんでしょ?1匹くらい引き出してあげればいいじゃないの?!

〇〇団体なんか、全頭引き出してるわよ?

たくさんの寄付金を集めておいて、ホントに保護活動やる気あるのかしら?

寄付金詐欺なんじゃないの?」


と世間から言われてしまいます。


Fさんのように、老犬を6匹も抱えて糞尿の臭いが充満する車で生活しているような、明らかに適正に犬の世話ができない状態に陥っているような人でも、


「もう自分には飼いきれません!誰かウチの子を引き取ってくれませんか?」


と言えばおそらく


「ひどい!老犬になって見放すのかしら?

面倒がみられないなら最初から飼わなければいいのに!

まったく無責任な人が多くて犬が可哀想よねぇ~!」


と言われてしまうのでしょう。

逆に、猛暑の季節に6匹の老犬を劣悪な環境の車に閉じ込めておくようなことになっても、ご自分で面倒を見続けていることに対して


「素晴らしい!ものすごく頑張っている優しい人ね!」


と称賛されるかもしれませんし、


「あれは虐待だ!」


と通報されてしまうかもしれません。

どうすりゃいいのよ~~~う?!( ノД`)


このお話は、老人介護の問題とも共通していますね。


親を老人ホームに入れる息子や娘は「冷たい」と言われ、

介護している側が心身ともに疲れ果て、押しつぶされる寸前まで踏ん張っている様子は「親孝行の美談」として語られます。

そのくせ、ついに介護する側が追い詰められて親を手にかけるようなことになると、


「悲惨すぎる・・・どうしてもっと早くに周りに助けを求めなかったのかしら?」


なーんて、ずいぶん勝手なことを言われてしまいますね。



大前提として、ペットを適正にお世話するには、飼養に適した環境と、精神的、体力的、そして経済的なゆとりが絶対に必要です。

もはや、そういった条件を欠いた状態で、「優しさ」とか「根性」だけで無理にペットを飼育しつづけることは、美徳でもなんでもなく、場合によっては虐待に近い状態になってしまうということです。

そのため、不本意にも適正にペットを飼うことができなくなった人が、堂々と


「わたしにはもう無理です。誰か助けてください!」


と言える社会にすることが、不幸なペットを減らすことに繋がると思っています。


「自分の手には負えない」と感じた飼い主がギブアップすることも、動物を思う勇気なのだと多くの人が認識するようになればいいと思います。




◇個人に厳しく自分たちに甘い国(行政)



では、愛犬のためを思って、やむを得ず


「もう自分の手には負えません」


って手を挙げた人たちのペットを受け入れてくれる「受け皿」になるべきはどこでしょう?

本来は、それこそが行政(保健所)であるべきだと思いませんか?

ところが、現状はどうでしょう。


「保健所に連れて行く」=「処分場に連れて行く」


みたいなイメージになってしまっています。

だから、


「ペットを飼えなくなったからといって保健所に連れて行くようなマネだけはしないでねっ!」


と訴えかけている人が多いんですね。

それは実際、保健所が「殺処分」を行っているからなのですけど、保健所って一体なんなんでしょう?

ってことを、税金を納めているわたしたちがもっと冷静に考えてみていいと思います。


国は「動物愛護管理法」という法律を定めて、国民には


「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」(第二条)


と言い渡していますし、飼い主さんたちには


「動物の終生飼養に努めなさい」


と言い渡していて、違反した者には罰則を設けています。

にもかかわらず、国民に


「国(保健所)に動物を連れて行くと殺処分になるぞ!」


と思われてしまうほど、小さな命にたった2週間足らずの猶予しか与えずに引取った動物たちを次々に殺しているのです。

その殺処分行為を国内外から批難されると「殺処分ゼロ」を掲げ・・・さあ殺処分をゼロにするために一体国は何をどう頑張るのかなーって思ってみていれば、なんと民間の保護団体に押し付けているではありませんか?

国はな~んにも頑張っていません。

さて、こんなことをしている国が、先述した猫の保護活動を崩壊させてしまったA女史を動物愛護管理法で裁くことができるんでしょーか?

自分たちが「殺処分ゼロにしたいから助けて~!」って押し付けた猫たちなのではないですか?


どう考えても、このスキームは、スキームそのものが崩壊していることにもっと国民が怒らなくっちゃーいけないとは思いませんか?



日本という国をひとりの人間に例えて考えてみてください。


日本さんは、悪質繁殖業者を容認することで、無計画にバンバン犬や猫を繁殖させていますね。

日本さんは、そうやって無計画に増やした何万匹もの自分が手に負えなくなった犬や猫を毎年殺していますね。


日本さんって・・・マジ鬼畜ーーー?!



もはや、わたしたちが住むこの「美しい国ニッポン」の状態というのは、国そのものが悪質なアニマルホーダーになっているってことなんです。





長くなるので、つづきは次回にします。




<今日のPet Hotel 11!>

はじめまして!Lちゃんで~す!

ママはとっても心配しているみたいだけど・・・

けっこう気ままに楽しんでるの~♪

お散歩もとっても上手だって褒められちゃった♪

まいど~!Pくんだよー!

さっき、自分のウンチを思いっきり踏んづけてね・・・

ジャブジャブ洗ってもらっちゃった(テヘペロ♪)
ちなみに、とーってもいいウンチだったんだよ!

うん・・・そうだったね(-_-;)

ウリだよ~~~~ん♪

ウリくん「今日はPくんやCくんとグルグルごっこしたり・・・」

ウリくん「テニスボールを「ぴーーーっ!」って引っ張って遊んだり・・・」
(※注:間違った遊び方です)

ウリくん「いっぱい走り回ったりしたよー!」

どうでもいいけどウリくん・・・
チャコを飛び越えたり・・・

お庭番のお尻の下に頭を突っ込んだりするの、
やめてくれな~~い?!

ウリくん「やだっ!」