2017年12月18日月曜日

戦中~戦後の盲導犬たち①

こんにちは。神奈川県 Pet Hotel 11!(ペットホテルワンワン)のお庭番です。



先日、「犬は人間に作られた」というタイトルで、1万年以上も前から人間のために尽くしてきた犬たちのお話をしました。

「犬は人間に作られた①」

狩猟犬、軍用犬、護衛犬、牧羊犬などの使役犬は、ずいぶん昔からいたことがわかりましたね。

今回は、比較的歴史の浅い使役犬 ”盲導犬”について書かれた、1冊の本をご紹介させていただきます。






【日本最初の盲導犬】


●チャンピイじゃないの?


「日本最初の盲導犬」というと

「あ、知ってる知ってる。チャンピイでしょ?」

という人は多いのではないでしょうか?

いいえ ちがいま~す!

チャンピイについては、

ぼくは盲導犬チャンピイ (偕成社文庫)

盲導犬チャンピイ―日本で最初にヒトの眼になった犬 (新潮文庫)

など、何冊か書籍が出版されていますし、2008年にはフジテレビでドラマ化されています。

そのため、あまりにもチャンピイが有名になったのですが、実はチャンピイ以前にも日本に盲導犬がいたことはあまり知られていません。

チャンピイが盲導犬になったのは、終戦から15年後の1960年です。

けれども、今からご紹介する本に書かれている盲導犬たちは、それ以前の戦中~戦後にかけて、確かにこの日本で、視力を失った人々のために懸命に働いていたのです。



●努力の結晶


日中戦争(1937年~1945年)の真っただ中だった1939年5月、ドイツから4頭のシェパードが日本にやってきました。

リタ(♀)、アスター(♀)、ボド(♂)、ルティ(♀)です。

ドイツの国立盲導犬学校を卒業したばかりの盲導犬でした。

当時、戦争で失明した軍人たちの社会復帰を後押ししようと、陸軍病院の一部の軍医が中心となって、日本での盲導犬育成を目指して懸命に動いていた人たちがいたんです。

彼らは、盲導犬の存在やその素晴らしさは知っていたものの、どうやって育てていけばいいか皆目わからなかったので、まずは手本になる盲導犬がどうしても必要だったんですね。

ところが、陸軍や国は直接戦争に役立つ軍用犬の養成には前向きでしたが、傷痍軍人(しょういぐんじん)の将来はもとより、それを支える犬の養成などにはまったく関心がありませんでした。

国のために命を危険にさらして傷ついた用済みの傷痍軍人にあてがう犬など必要ないってことでしょーか?(ひどくな~い?!)

盲導犬の育成を目指す人たちは、当初は国に掛け合いましたが、協力どころか障壁にしかならない国に見切りをつけ、彼らに賛同してくれるボランティアの協力を得て、なんとか4頭の盲導犬を日本に招くことに成功しました。

この、一部の陸軍軍医たちとボランティアの方々の、傷ついた兵隊さんのためを思って諦めずに努力を重ねる姿勢には、当時の時代背景を考えると、驚きと畏敬の念を禁じ得ません。

本の中には、この4頭の日本輸入には、クリームパンの元祖である老舗パン屋の新宿中村屋が関わっていることも書かれています。

「あんまんは井村屋と思っていたけど、次から中村屋にしよう」

と思ってしまった単純なお庭番・・・・(;'∀')

関連して新宿中村屋の歴史をHPで見てみたら、

「エーッ?!アレもコレも中村屋が最初なのー?!」

と、コレまたなかなか面白い内容でした。

ご興味のある方はぜひ覗いてみてくださいな。

中村屋の歴史



●歴史に埋もれていた盲導犬たち


その後、この4頭の二代目や三代目の盲導犬が育成され、戦争で傷つき、視力と生きる希望を失った傷痍軍人たちの生活を支えていきました。

けれどもその盲導犬たちの多くは戦争の混乱や、戦後の貧しい食糧事情などによって行方不明になったり短い生涯を閉じたりしています。

そして、戦争が激化した終戦間際から、陸軍病院で盲導犬を扱う訓練を受けていた傷痍軍人たちは次々に強制退院させられるようになり、盲導犬としての訓練を受けていた犬たちもまた、一般家庭に引き取られるなどして散り散りになってしまったのです。

日本国内での盲導犬育成は、成功していたにも関わらず、戦争によって白紙にもどってしまったという歴史があったんですね。

本書は、当時を知る数少ない関係者へのヒアリングや、残された手記、当時の新聞記事などを元に3年以上にもおよぶ綿密な取材を元に書かれています。

亡くなってしまった方も多く、取材は困難を極めたようですが、戦争に翻弄された盲導犬たちのことを歴史に埋もれさせずに、こうして本にしていただけて本当によかったと思っています。


●現代の主流はラブラドールレトリーバー


盲導犬というと、ラブを想像する人が多いでしょう?

でも、最初は盲導犬といったらみんなシェパードでした。

なんでシェパードだったのか?

なんで今の主流はラブなのか?

といったことも本書には書かれていますので、ぜひ読んでみてください。


●今も昔も・・・


読んでいて、なんといっても一番心を打たれたのは、ドイツからやってきた4頭の盲導犬をはじめ、日本で育成された盲導犬たちと傷痍軍人たちの強い絆、そして盲導犬たちの涙なしでは語れないような献身的な振舞いなのですが、その一例をご紹介する前にちょっとガッカリするようなエピソードをひとつ・・・

当時、国が盲導犬の育成に後ろ向きだったとお話しましたね。

リタ、アスター、ボド、ルティの4頭が日本にやってきた3か月後、当時の読売新聞に、盲導犬事業を攻撃する記事が大きく掲載されたそうです。

『盲導犬 日本人には不適当

座敷に不向きな上に経費が莫大にかかる

むしろ妻帯が第一』

これは、当時アメリカの盲学校に1年間留学して戻って来たばかりの官立東京盲学校の教授が

「盲導犬は現在のところわが国には絶対不適当

と主張しているという記事です。

この教授は、当時 日本国内で失明者や失明兵士の施策を担当していた厚生省などの省庁や政府機関の”御用学者”だったようで、国は彼の口を借りて盲導犬の育成を妨げるような”宣伝”をしていたようだとされています。


なんとゆーか・・・いつの時代もこういうことってあるんですね~ (-_-;)



長くなりました。

この本のご紹介は、もう1回だけつづきまーす!



<今日のPet Hotel 11!>

う~ん・・・やっぱりチャコは痒がるなぁ(-_-;)

ダメだ!カキカキしすぎ!血が出ちゃう~(:_;)

仕方ない。まずコレを装着してから・・・
例の”ジャマな丸いヤツ”をつけるか・・・

心なしか落ち込んでいるように見えるチャコ・・・
暖かくなる前にどのくらい治せるか・・・
がんばろーねっ!!

寒い季節は、なんといっても空気が澄んでいて
景色が奇麗なのが嬉しいな~♪

なんだかんだ言っても
幸せだよね~~♪
って思ちゃう空(^▽^)